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特集

美しい天草

天草五人衆にはじまる天草キリシタン史

海面がコバルトブルーに輝く苓北町の富岡海岸(イメージ)

海面がコバルトブルーに輝く苓北町の富岡海岸(イメージ)

海を越えて天草に伝わったキリスト教

 志岐、天草、上津浦、大矢野、栖本の「天草五人衆」によって統治されていた戦国時代の天草。1566年、現在の天草郡苓北町を拠点としていた五人衆の一人・志岐鱗泉(しきりんせん)に乞われ、ポルトガル人のイエズス会士アルメイダが来島し、この地にキリスト教がもたらされた。
 以降、ザビエルとともに訪日したトルレス宣教師も志岐での布教を開始、また宣教師が一堂に会した「宗教会議」が開かれるなど、志岐はキリシタン文化の中枢を担っていく。
 五人衆が次々と改修したこともあり、神の前の平等を説くキリスト教は島内にまたたく間に浸透する。20数年後には、住民のほとんどがキリシタンに改修したといわれるほどだ。
 ところが、自らも洗礼を受けていた鱗泉が突然棄教を宣言、しかもキリシタン迫害を開始する。目的としていた南蛮貿易が果たされなかったことが理由というが、そのため信仰の中心は熱心な信者だった天草氏のお膝元、天草・島原の乱の激戦地を数多く有する本渡市周辺へと移っていった。
 後に天草を統治したキリシタン大名・小西行長の元、天草の南蛮文化はさらに花開く。しかし、関ヶ原の戦いでの西軍の敗走以降、厳しい時代が到来することになるのだ。

郷土名物に刻まれた南蛮文化

 天草のキリシタン史というと“殉教”などの悲劇のイメージがつきまとう。とはいえ、イカスミ料理やタコめしといった自慢の郷土料理もそうした歴史遺産の一部。今やスイーツに欠かせないイチジクも天草に初めてもたらされ、「南蛮柿」の名で尊ばれたそうだ。歴史の明暗は表裏一体。悲しみを乗り越えた島に残される“もう一面のキリシタン文化”の足跡も満喫してみたい。

タコの町と知られる天草・有明町の名物郷土料理・タコめし(イメージ)

タコの町と知られる天草・有明町の名物郷土料理・タコめし(イメージ)

かつて「南蛮柿」と重宝されたイチジクを使った土産物(イメージ)

かつて「南蛮柿」と重宝されたイチジクを使った
土産物(イメージ)

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