グローバルナビゲーションをとばして本文へ
ここからが本文です。

すでにJ-WEST IDをお持ちの50歳以上の方は「会員ログイン」してください。

特集

邪馬台国 〜古代歴史ロマンの謎に迫る〜 女王・卑弥呼の存在や所在地を巡る論争など、謎多き邪馬台国。全国各地に候補地が挙げられる中でも、特に有力なものが九州説と畿内説だ。それらの説を後押しする古代遺跡とともに、邪馬台国の謎に迫ってみたい。

古代遺跡を巡り邪馬台国の旅へ

魏志倭人伝≠ノ描かれた邪馬台国とは?

 3世紀の日本・倭国に存在したとされる邪馬台国。所在地については古くから論争がなされてきたが、その元となっているのが魏志倭人伝≠セ。中国の史書『三国志』の一部で、当時の生活風習や社会制度、邪馬台国を都とした女王・卑弥呼の姿をうかがい知ることができる。
 この史書の中には、朝鮮半島の郡である帯方郡(たいほうぐん)から邪馬台国への道のりも詳細に記されている。その距離は1万2000里あまりとなっているが、その通りにたどると九州南方の海上に行き着いてしまう。行程や方角など、解釈方法の違いによって、さまざまな候補地が浮かび上がるのだ。

所在地論争をにぎわせる九州説と畿内説

 邪馬台国の所在地は、史書の記述だけでは結論付けられない。だからこそ、日本各地でみつかった遺跡や出土遺物が、所在地を語るうえで重要な手掛かりとなってくる。中でも、古くから論争の中心となってきた九州と畿内は、位置的な根拠に加え、周辺に、邪馬台国を思わせる大規模な遺跡がみつかっている有力な候補地だ。
 九州説を裏付ける佐賀県・吉野ヶ里遺跡は、宮室(きゅうしつ)、楼観(ろうかん)、城柵(じょうさく)といった、魏志倭人伝≠フ邪馬台国の描写と一致する遺構がセットで発見された国内最大級の環壕集落。現在は、歴史公園として邪馬台国の最盛期と重なる時期を対象に整備され、復元された主祭殿や物見櫓(ものみやぐら)、高床倉庫などが、弥生時代の人々の暮らしを体感させてくれる。
 奈良県・纏向(まきむく)遺跡も、論争の軸となる畿内説の有力候補地だ。日本各地で作られた土器や遺物が出土していることから、邪馬台国を中心としたグループの本拠地があったと考えられ、弥生時代末期から古墳時代前期と判断される時期も邪馬台国の年代と合致する。
 九州説、畿内説とも、候補地はひとつではないが、巨大遺跡の存在は、邪馬台国が実在したことを感じさせてくれる。現地を訪れて、邪馬台国のイメージを膨らませてみたい。

写真提供:国営海の中道海浜公園事務所所有

吉野ヶ里歴史公園の北内郭。重要で神聖な場所であると想定し、隙間ない板壁で囲まれている

写真提供:国営海の中道海浜公園事務所所有

周囲を見張る役割のほか、威厳を示す意味もあったと考えられている

写真提供:国営海の中道海浜公園事務所所有

再現された北内郭の環壕

  • 女王の華やかな副葬品
  • 古墳は卑弥呼の墓?

  • メルマガ紹介
  • おとなび簡単ガイド
  • 100万人突破キャンペーン
  • CM撮影風景