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特集

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旧松本村を歩く

明治維新と産業革命胎動の地

萩の人から見た松陰先生

 旧松本村は“明治維新胎動の地”とも呼ばれる場所。この地に生まれ、日本の歴史に大きな影響を与えた人物が吉田松陰だ。「萩では吉田松陰と呼び捨てにする人はまずいません。必ず松陰“先生”と呼びますね」と須山さん。今も小学校には『松陰読本』という教材があり、明倫小学校などでは松陰先生の歌を読んだりもするのだとか。「よそから来られた方はどうしてそんなに?と思われるかもしれませんが、萩はそういうところなんです」。そんな松陰先生を祀(まつ)る松陰神社の境内に、有名な松下村塾が当時のまま現存する。「元々は松陰先生の実家・杉家の小屋です。それを急遽改造して、講義室としたものなんです。もう一棟は控えの間といいまして、先生と門下生たちが自分たちで古木を持ってきまして建て増ししたものです」
 松陰先生がここで育てた門下生は九十数名。その教育方針は、現在でいう塾講師とはまったく違う。「とにかくその人の一番優れたところを引き出してやる、というのが松陰先生です。“教える”のではなく、“共に学ぶ”というのが先生の姿勢なんです」。時間も定められておらず、門下生は気が向いた時にやって来て、帰りたくなれば帰る。朝から晩まで居続ける者もいたという。「おそらく松陰先生は寝る暇はなかったと思います」

松下村塾の講義室内部。このわずか8畳間に多くの門下生が集った。

松下村塾(松陰神社)

明治の産業革命をリードした門下生

松下村塾に学び、のちに初代内閣総理大臣となった伊藤博文の銅像。

伊藤博文旧宅

 松下村塾の門下生で特に有名なのが、高杉晋作や久坂玄瑞(くさかげんずい)など維新の志士たち。だが、それだけではないと須山さんはいう。「昨年、萩が世界遺産『明治日本の産業革命遺産』に登録された元は、松陰先生なんです。先生は徹底して攘夷(じょうい)論を唱えていた方ですが、一方で、外国の文明は1日でも早く取り入れるべきだということを門人たちや殿様に口を酸っぱくしていっていたんです。そうした書き付けもたくさん残っているんですよ」。そんな教えを受けた門下生の中で、外国文化を直(じか)に学ぶ機会を得たのが伊藤博文。「伊藤公は1863年(文久3)にロンドン大学に密航するまでは尊王攘夷で凝り固まっていたんです。しかし向こうの文化を目の当たりにして衝撃を受け、渡航した5人それぞれが、何か国のためになるものを身につけて帰ろうと誓い合い、のちに明治の世で大きな役割を果たすんですね」。この伊藤ら5人が、いわゆる“長州ファイブ”。伊藤は「内閣の父」、井上馨は「外交の父」、山尾庸三は「工業の父」、遠藤謹助は「造幣の父」、井上勝は「鉄道の父」と呼ばれ、各分野の近代化に多大なる功績を残した。
 松陰神社から5分ほど歩けば、伊藤博文旧宅がある。農家のようなその住まいの隣には、内閣総理大臣となった伊藤が東京に建てた別邸も移築されており、比較してみるのも面白い。「伊藤博文や山県有朋は要領が良かったから長生きして権力を手中にした、というふうにいう人もいますけど、それは違うと思います。本人たちが一生懸命勉強して努力した結果、重要な地位を得た訳ですからね」。早くから外国文化に注目していた松陰先生の蒔いた種が近代日本へとつながっていったことに注目して、萩を散策してみてはいかがだろう。

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