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大分・春 高楼の桜

名曲のモチーフとなった城に咲く桜

難攻不落の城と桜

 大分県の「日本さくら名所100選」のひとつが、竹田市にある岡城跡。城自体も「日本100名城」に選ばれており、まさに桜名所と名城の取り合わせ。城の歴史は古く、およそ830年前の源平時代にこの地の武将・緒方三郎惟栄(これよし)が源義経を迎えるために山城を築城したと伝わる。さらにおよそ430年前の戦国時代には、大友氏の家臣・志賀親次(ちかよし)がわずかな手勢を率い、九州統一を目指す島津氏の大軍を撃退。その難攻不落ぶりを世に示した。  大友氏の滅亡後は中川秀成が入り、現在のような石垣造りの城郭が整備された。城内は大変広く、面積は東京ドームおよそ22個分。そんな城内に約1500本もの桜が植えられており、見頃を迎えると史跡の石垣に美しく映え、人々の目を楽しませてくれる。城の本丸・二の丸・三の丸は、その名も「桜の馬場」と呼ばれる桜の名所の先にあり、谷底まで80メートル近いという断崖絶壁の台地の上に石垣がそそり立つ。まさに“天然の要害”を思わせるおもむきだ。

桜の季節の岡城跡。入口から大手門へと続く登り坂の風景。

『荒城の月』のモチーフ

滝廉太郎の銅像の立つ二の丸。
晴れた日には久住(くじゅう)の山並みが見渡せる。

岡城跡

「♪春 高楼(こうろう)の花の宴(えん) 巡(めぐ)る盃(さかずき)かげさして…」というフレーズで有名な唱歌『荒城の月』。この曲の作曲者である瀧廉太郎(たきれんたろう/1879年〜1903年)は、少年時代の一時期をこの竹田で過ごし、城跡のすぐ下にあった高等小学校に通っていた。瀧は、学校の裏山(岡城跡)に登って尺八を吹くなどして遊んでいたと伝わる。当時の岡城跡は、明治の廃城令後に建物などが取り壊されたままに荒れ果ており、そのイメージが『荒城の月』の哀愁を帯びた曲調のモチーフになったとされる。(なお『荒城の月』のモデルは、作詞の土井晩翠の出身地・仙台の青葉城ともいわれる)  かつて月見櫓などが立っていた二の丸跡には、大分出身の彫刻家・朝倉文夫作の瀧廉太郎の銅像が立つ。朝倉と瀧は同窓生という間柄。また、日露戦争の時、海軍で活躍した広瀬武夫も現在の竹田市の出身で、瀧と親交があった。ドイツ留学中の瀧がロシアにいた広瀬に楽譜を送り、それを演奏したロシア人が日本人の作曲と聞いて驚いたというエピソードもあるのだとか。この滝廉太郎銅像周辺も、桜の開花時期を迎えると一面に美しいソメイヨシノが咲き誇る桜の名所となる。

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