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特集

マラソンの才能とスポーツに寄せる情熱で激動の人生を駆け抜けた金栗四三。その原動力は故郷の豊かな自然の中で培われたといえるだろう。生涯を振り返りながら、“鉄人”を輩出した魅力あふれる町を巡りたい。

日本マラソンの父 金栗四三

スポーツ界の発展を牽引した金栗四三

若き日の金栗四三

マラソンシューズの礎となった「特製マラソン足袋
通称金栗足袋」

 日本人初の五輪選手としてマラソンに出場した金栗四三は、1891年、現在の熊本県和水町に生を受けた。8人兄弟の7番目。印象的な名前は、父親が43歳の時に生まれたゆえ。意外にも幼少時はひ弱だったというが、小学校までの山坂を越える往復12キロを走って通ったことで、ランナーとしての基礎を身につけていく。

 最初にその才能が開花したのは、東京高等師範学校(現筑波大学)進学後に出場した五輪の国内予選。当時の世界記録を27分も上回る大記録で優勝して第5回ストックホルム大会への切符を手にするが、残念ながらレースを棄権。さらに二度にわたり出場した五輪でも成績は振るわず、33歳で競技人生から引退する。しかし、その間も箱根駅伝の創設、マラソンシューズの礎となった「特製マラソン足袋 通称金栗足袋」の開発など世界的ランナーの育成に尽力。引退後も生涯をかけてスポーツ界の発展に貢献した。勝利はなくとも、その功績は金メダル以上に輝いている。

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