若手蔵元の全国組織
「日本酒造青年協議会」で会長を務める
賀茂泉酒造の4代目・前垣壽宏さん
醸造家の努力が生んだ「軟水の酒」
広島県の日本酒を語る時に欠かせないのが、明治時代の醸造家・三浦仙三郎。三浦氏は灘で酒造りを学んだあと、30歳のときに出身地である安芸津で酒造業を始めました。しかし、何回挑戦しても発酵がうまく進まず、壁にぶつかります。
その原因は、灘と比較して、安芸津の水が軟水だったことでした。広島県の土壌には花崗岩が層になっている特徴があり、この土層を経た地下水はまろやかな軟水となります。
軟水は硬度が低く、酵母の栄養となるミネラル分が少ないのが特徴。灘と同様の酒造りをしてもミネラル分が足りず、酵母の増殖が緩やかになっていると三浦氏は突き止めたのです。
そこで、三浦氏は独自で研究を重ね、安芸津の軟水でもおいしいお酒を造れる醸造方法を確立させました。それが「三浦式醸造法」。軟水に合った酒造りができるよう、麹室の大きさにまで言及し、低温・低湿度で醪を発酵させるなど、それまでの酒造りのルールとは一味違う内容です。
この三浦式醸造法は広く公開され、県内の杜氏育成に大きく貢献しました。賀茂泉酒造に残されている写本をめくりながら、前垣さんは次のように話します。
「1907年に開かれた全国清酒品評会では、広島県の日本酒が上位を占め、灘や伏見に負けない酒造りの土壌があることを国内に轟かせました。日本酒に不向きだと思われていた軟水でも、おいしいお酒が造れることを証明したんです」
三浦氏の功績により、広島県のお酒といえば「軟水醸造」と思われがちですが、軟水が湧く土地は安芸津などの沿岸部だけ。西条や北部の山間から湧く水は中硬水なのだそう。それでも、三浦式醸造法は西条の酒造りにも大きく影響を与えたと前垣さんは話します。
「1928年に県立醸造試験場が西条に設立されました。1975年に廃止されるまで、広島県の醸造試験は西条で行われていたんです。もちろん、三浦氏の研究が試験場での醸造技術のベースになっているでしょう」
三浦氏が探求した安芸津の軟水とは異なり、中硬水が湧く西条ですが、低湿度でじっくり麹を育てる方法は賀茂泉酒造も採用しているそうです。
県民に深く愛される、広島県の日本酒
「広島県は県民の一体感が強い土地だと思います。スーパーに行くと、県内の酒蔵で造られたお酒がずらりと並んでいることが多いんです」と、前垣さん。
地域ごとに気候や水質の差が大きい広島県。それなのに、県としての一体感が強いのはなんとも不思議です。
「太平洋戦争で大きな影響を受けたことや、広島カープやサンフレッチェ広島など、地のスポーツチームが根付いていることが理由かもしれない」と、前垣さんは教えてくれました。
最後に、酒造りにおいて、前垣さんがもっとも重要視している点をうかがいました。
「いちばん大事なのは水だと思っています。日本酒に含まれる成分のほとんどは水ですから。そこで、西条にある他の酒蔵と協力して、仕込み水の水源となる山の保全活動にも取り組んでいます。水を守ることが、良い酒造りにつながるんです」
広島県の豊かな自然の恵み。その力をあるがままに活かしているからこそ、県民の多くから支持を集め、なおかつ全国にその魅力が伝わっているのかもしれません。エリアごとにさまざまな特色がある広島県の日本酒を、まだまだ追いかけてみたくなりました。
TEXT BY SAKETIMES