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特集 2020年2月号
まるで時間が止まったような風景がここに
![瀬戸内の港町・御手洗(みたらい)日本遺産の町を歩く](img/index_mv.jpg)
このたび「おとなび」5周年を記念して、伊藤蘭さんご出演のWEB動画を制作。撮影の舞台となった広島県呉市の御手洗には郷愁さそう島の港町の風景があった。
江戸時代以降に発展した港町
今回撮影の舞台となった御手洗は、広島県呉市の安芸灘(あきなだ)に浮かぶ大崎下島の小さな港町。瀬戸内海は古代から海上交通の大動脈だったが、御手洗が港町として発展したのは江戸時代以降のこと。瀬戸内海航路は中世までは陸地沿いを航行する「地乗(じの)り」が主流だったため、広島県では鞆(福山市)や尾道などが栄えていた。近世になり沖合を一気に航行する「沖乗り」が可能になると、その航路上にある御手洗が寄港地として注目されたのだ。
1666年(寛文6)に広島藩が御手洗の町割りを許可。それ以降、商家、お茶屋、船宿などが立ち並ぶ港町として繁栄した。“動く総合商社”ともいわれ、巨万の富を運んだ北前船の寄港地ともなり、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡がれた異空間~北前船寄港地・船主集落~」にも登録されている。
江戸時代の風情と大正~昭和の雰囲気
御手洗の伝統的建造物群保存地区は、20~30分ほどあれば歩いて回れるほどコンパクト。中心となる常盤町(ときわまち)通りは、入母屋造(いりもやづく)りの町家が軒を連ね、江戸時代の面影を色濃く残す。まるで時間が止まっているかのようだ。ひときわ大きな庄屋屋敷・旧柴屋住宅(きゅうしばやじゅうたく)は内部見学も可能。1806年(文化3)には伊能忠敬(いのうただたか)が滞在しており、貴重な測量資料のレプリカなどが展示されている。
菅原道真をまつる御手洗天満宮(天満神社)から続く相生通りには、かつての花街の隆盛を物語る若胡子屋跡(わかえびすやあと)の建物が現存。こちらも内部や庭を見学できる。通りを港の方へと歩いていくと、町並みは大正~昭和の雰囲気へと変わり、1937年築のモダンな劇場建築・乙女座などが。しばしノスタルジックな気分に浸ってみよう。
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常盤町通り。通りの正面に見える建物が旧柴屋住宅。 -
広島藩から公認された江戸時代のお茶屋・若胡子屋跡。 -
レトロな雰囲気の相生通り。明治時代から続く時計屋もある。 -
モダンな洋風建築は、戦前に建てられた劇場・乙女座。
海とともに歴史を紡ぐ町の面影
![繁栄を物語る江戸時代の港](img/column01_mv.jpg)
風待ち・潮待ちの港として繁栄
御手洗が繁栄した理由のひとつが、「風待ち・潮待ち」に適した港であったこと。帆船の時代は潮流と風向きに航海が左右されるため、強い季節風や逆潮を避け、順風や順潮を待つための港が必要だった。また、御手洗には「御手洗相場」と呼ばれる米相場が立っていたという。大坂と西国諸国の米の値段の情報を使う中継貿易地の役割も果たしていたのだ。そこで各藩の貿易の窓口となったのが船宿。いわば仲買問屋である。
大洲藩・宇和島藩指定の船宿だった「若本屋長五郎」の建物は、その一角が船宿カフェ若長(わかちょう)として改装され、昔の雰囲気を味わいながらコーヒーやご当地スイーツが味わえる洒落たカフェとなっている。今回のロケでも使われた2階座敷からは、御手洗が「風待ち・潮待ち」に適していることがよくわかる凪(な)いだ海と、江戸時代に造られた波止場が目の前に。この島ならではの、自然と歴史が重なる光景も味わいたい。
港町の繁栄を見守ってきたシンボル
江戸時代の波止場は、千砂子波止(ちさごはと)と呼ばれ、1829年(文政12)に広島藩が港を拡張するために築造した全長120メートルにおよぶ石積みの大防波堤。その姿は中国地方随一で、「中国無双」とも称された。波止場の付け根に鎮座する住吉神社(すみよしじんじゃ)は、広島藩の御用商人でもあった大坂の豪商・鴻池(こうのいけ)が寄進したもので、社殿は大坂(大阪)にある住吉大社を縮小して写したものと伝わる。大坂の住吉大社は反橋(そりばし)が有名だが、こちらは石造りの太鼓橋になっているのが面白い。太鼓橋の手前に立つ高灯籠も立派な石造り。1832年(天保3)に庄屋・金子忠左衛門が寄進したもので、かつては波止場の先端にあったという。御手洗の繁栄を見守ってきた港町のシンボル的存在だ。
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三軒長屋が江戸時代に仲買問屋だった船宿。中央が船宿カフェ若長。 -
カフェ2階からは目の前に千砂子波止、遠く来島海峡大橋も見えた。 -
江戸時代に奉納された住吉神社の高灯籠。左が太鼓橋。
この眺め、まるで海の交差点
![瀬戸内を一望する歴史の見える丘公園](img/column02_mv.jpg)
本州と四国の中間に位置する島
今回の撮影地にもなった「歴史の見える丘公園」は、御手洗の町からおよそ15分ほど遊歩道を上がった高台に広がるビュースポット。眼下に御手洗の町並み保存地区を見下ろし、隣の岡村島(愛媛県)との間のおだやかな水道が横たわる。北~北西側に視線を向けると、小さな島々の姿と、遠く広島県の本州の山影が。南側は大きく視界が開けており、海の向こうに見えるのは四国。天気が良ければ来島海峡に架かる来島海峡大橋まで眺めることができる。
この場所に立つと、御手洗がちょうど本州と四国の中間に位置しているということを実感できる。大坂(大阪)~下関間の距離をみても中央やや西寄りの位置。いわば“海の交差点”だ。島々に囲まれているため潮流は比較的緩やかで、向かい合う島が風よけにもなり、天然の良港としての条件を備えていたことが見てとれる。想像をめぐらせてみると、北前船などが瀬戸内海を行き交った時代に活況を呈した歴史が見えてくるようだ。
ちなみに港には北前船など交易船だけでなく、多くの要人を乗せた船も立ち寄ったと伝わる。たとえばシーボルト、吉田松陰、三条実美(さねとみ)、坂本龍馬、大久保利通など。江戸時代の歴史を彩った偉人たちも御手洗に足跡を残している。明治時代中期以降になると、陸上交通や汽船の発達により風待ち・潮待ちの港は必要性を失ってしまったが、それゆえに港町が古い姿のまま残ったともいえる。まるで時間が止まっているようなノスタルジックな風景が、旅人を魅了してやまないのだ。
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歴史の見える丘公園から町並み保存地区を見下ろす。向かいの島は愛媛県 -
北側(本州方面)は小さな島に囲まれ、安芸灘とびしま街道の橋が架かる -
南側(四国方面)は四国・来島海峡まで見渡せる大パノラマが広がる